mayte Flanagan
2009年03月02日
15:28
セカンドライフをお楽しみの皆さん
こんにちわ!
かっこよくキメて、何でも統治する人のように見せかけて
ちょいと一皮剥けば
育ちの悪い単なるノータリンと評判の
『夜の食国(よるのおすくに)』の貴公子、マイテ・フラナガンです。
今日は唐突に
かっこつけて自分を『荒ぶる神スサノオ』に例えてみました。
唐突ですが
先に貼り付けたSSの元ネタはこれ
全然違うでしょ。真っ暗。真っ黒。汚いの。
マスターのSSは綺麗ですね。
どうやって撮ってるんですか。
なんていうてくださる方がいらっしゃいますが
綺麗になど撮れちゃいません。
ボクの内部は
この元ネタSSと同じで
真っ黒で、真っ暗で、どうしようもないです。たぶん。
自分を綺麗に見せるために
ありとあらゆる味付けをしたり、省いたり消したりして
何とか見れるとこまで持っていってる。
それだって
自分でよいと思っただけに過ぎなくて
もっと綺麗にできる人もいれば
もっと魅力的に仕上げることができる人もいます。
なんなら、初めから、美しく撮影できる人もいます。
人生も・・・
もしかしたら、こんな、画像加工に似てるかも知れません。
『荒ぶる神・スサノオ』が
ただのガキンチョでしかいられなかったり
ただの暴れん坊でしかいられなかったりする
そんなフィールドばかりでも
ひとたび『出雲の国』にいけば
英雄になれたように
本当は、真っ黒、真っ暗、汚くても
綺麗にできる場所、フィールド、手段ってのがあって
せっかくならば、それを使っていったほうがいいのです。
美味しそうに見えるお誘いも
魅力的に見えるお誘いも
素敵に見えて真似したくなるあんなことも
かっこよく見えて導入したくなるそんなことも
ボクの脳裏に1Up音が聞こえないのならば
ぐっと我慢する強さも必要です。
そして、まだまだ上があるに違いなくても
なるったけ、なるったけ
今現在の自分の最高を出していけるように
背伸びでも、小さくジャンプでも何をしてでも
最大限の、ボクのよさ。みたいなのを
出していくっていうことは
ボクのワガママを貫くことに等しくなるのだけれど
きちんとやっていけば
結果的に、自分を支えてくれる人への恩返しになるはずと
信じてやってくしかありません。
セカンドライフ以前のお友達と
とっても疎遠になってしまって
まるで変わってしまったボクのように思ってる友達もいるかもだけど
手段を変えただけで
ちゃんと忘れてません。ほんと、信じてください。
何を忘れてないかと言うと
自分を、です。自分と言うのを、忘れてはいません。
それと同じに
永遠に続くはずがないであろうセカンドライフの生活の中で
知り合って関わって
あんなことこんなことやって
楽しかったり苦しかったりめんどくさかったりしながら
仲良くしてくださってる皆さんとも
いつか・・・
違うフィールドに散らばっていくときがくるかもしれないけれど
それはみんなそれぞれが
自分の脳裏の1Up音に従って
その人の最善の道を歩もうとしているから。
って、何が言いたかったのか
まるでわからなくなってきたけれども
自分らしく生きていくというのは
行き違いやすれ違い、変化や相違がでてしまうもの。
そのたびに、申し訳ないと思ったり
辛くなったり、悲しくなったり
頭にきたり、へこんだりするんだけど
たぶん・・・なるだけ・・・
真の意味で『美しい自分でいよう』とする気持ちさえ
お互いが変わっていなければ
それは間違いではないはず。
自分を見つめて
自分の限界を知りながら
その限界をあげていこうとがんばること
それを忘れていなければ
真の別れと言うものはないはず。
自分本位に、自分を最優先で生きるってのは
半端なことではないけれど
みんなみんなが、そうやって生きてほしいな。
何でも良さげに見えたものに
とりま乗っかっちゃうのも手段かもしれないけど。
自分だけの『出雲の国』を探して
みんなそれぞれがんばって
その時に、自分なりに『よし』と思える自分を表現して
そうやって、表面的には違う場所に生きるようになっても
髄はつながり続けてる。
そうやっていきたいもんです。